『じかんの家』が生まれるまで③
こんにちは、じかんの家の家主まなおです。
前回までの2つの記事に続き、
この『じかんの家』が誕生するまでの経緯について
今回も語っていきたいと思います。
前回の記事は
『じかんの家』の立地について
なぜ綱島(つなしま)へと辿り着いたのか
また移転してくる前の開業当時の様子についてなど、
今に至るまでの変遷を共有させて頂きました。
今回も『じかんの家』が生まれるまでのストーリを
少しみなさまと共有させて頂きたいと思います。
始めたころは独り身でした。
これまでは『じかんの家』の家長である
まなお1人の目線で語られてまいりました。
最初に『日吉』の駅で前のサロンである
『横浜ヒーリングステーション』を始めた頃は
まなかなの2人は結婚する前で、
まなお1人で開業したのが日吉のサロンだったのです。
開業した時点では、
2人はもちろん知り合ってはいましたが、
まだ当然お付き合いすらしていませんでした。
少し時間を遡ります。
日吉のサロンを開業する5カ月ほど前・・・
2015年の始まったばかりの頃でした。
当時のまなおはまだアレやコレやと勉強中の身
どうやって自分の学校を創ろうかと思索を練っていた頃でした。
そんな中で毎週のように
何かしらの勉強会・セミナーに顔を出していて
たまたまその中の一つが
今は自分たちの生活の中心になっている
波動調整®だったのです。
1月の千葉のレンタルスペースの和室
とても寒かったことを覚えています。
当時の波動調整®入門講座
その担当講師が柿谷佳奈だったのです。
きっかけは波動調整®
2人の出逢いは講師と受講生。
その場で何かがあったわけではありませんが、
波動調整®講座の内容に深い感銘を受けました。
“ようやく求めていた学びに出逢えた”
そういう感覚になったことを覚えています。
その後、初級・中級・上級と最短で駆け抜け、
インストラクターにならないかと声を掛けて頂きました。
それをきっかけに開業する決心がついたのです。
その後、同じ波動調整®インストラクターという立場で
お互いの講座に行き来したり一緒にイベント開催するうちに
気が付いたら今のように2人で活動することが多くなりました。
最初に波動調整®を習ってから、
インストラクターになるまでが3カ月ほど、
(超例外として認めてもらったので今じゃあり得ません)
本当に急展開だったと思います。
『日吉』の家が2人の家に
さらにインストラクタ―として活動するだけでなく、
波動調整®の運営会社に2人とも深くかかわることになり、
公私ともにどっぷりと一緒にやっていくこととなり、
(会社の設立が2人が付き合い始める大きなきっかけでした)
千葉と横浜の行き来が負担でしたから、
部屋の空いていた日吉の家に
佳奈ちゃんの方が転がり込んでくることと相成りました。
その後は、ほぼほぼ今と同じような形で
まなかなの2人で活動がメインとなっていきました。
晴れて2016年の2月に結婚し
名実ともに夫婦として活動をスタートさせました。
2人が出逢ってから
わずか1年ちょっとの話でございます。
こうしてまなお1人で始まった
『ヒーリングステーション』から
それぞれの経験値・学びが融合して
いまの『じかんの家』へと繋がっていったのです。
2人で選んだ場所が今の『じかんの家』
この2人だからお伝えできることがあると思います。
夫婦という形だからお伝えできることがあると思います。
(だからこ日常のすべてが実践になっているわけですが・・・)
取り立てて何かに優れた2人ではございませんが、
力を合わせて精いっぱい活動させて頂いております。
ぜひ、この『じかんの家』で過ごす時間をとおして
何か1つでも人生の中でのきっかけになれば幸いです。
ここまで『じかんの家』の家が生まれるまで
その経緯をお伝えしてまいりました。
少しでも身近に感じて頂けたら嬉しい限りです。